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  • 04/16/14:31

世界遺産マイスター必読書!!

世界遺産 ユネスコ事務局長は訴える  /松浦晃一郎/著 [本]

世界遺産 ユネスコ事務局長は訴える /松浦晃一郎/著 [本]


 結局の所、世界遺産マイスターの受験者は何を勉強すべきなのか?
普通の勉強内容では公式テキスト1巻の最初の数ページをキッチリ暗記すること及び、その最初の数ページに関連する遺産を覚える程度で大丈夫だと言うことになる。
それはつまり、負の遺産ならどういう経緯でその概念が誕生したのか?負の遺産にはどのような物件が存在するのかと言ったことについて覚えておく必要があるということだ。

 さて、マイスター試験ではそれまでの試験の時のように890の遺産についての詳細は問われないとされている。ならば、世界遺産事務局は何を求めるのか?
それは世界遺産の名付け親たるユネスコ(国際連合教育科学文化機関)がいつ・どのような理由と経緯で世界遺産を作るに至ったのかということについての理解を求めているのだろう(5W1Hでね)。
 そんなことを単に記憶するだけでなく心の隅まで理念を浸透させるために『世界遺産 ユネスコ事務局長は訴える /松浦晃一郎/著 [本]』を借りてきました。
 著者の松浦氏は先日までユネスコの事務局長をしていらした方ですので、ユネスコの世界の平和と福祉に資する思想が具現化されたような人物なのだと思います。
 まだこの本は読んでないのですが、きっとマイケル・ジャクソン並に情熱たっぷりな口調で世界遺産を語って下さっているのだと思います。ビバ、自由の国フランスでエッフェル塔の頂上から愛を叫べ!


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 *負の遺産とは・・・負の遺産とは人類の歴史の負の側面を浮かび上がらせ、犯した罪を体感させる物件のことである。人類は近代に自由・平等・民主主義を掲げた後も戦争にまい進し、差別に狂乱した。しかもそれを行ったのは民主主義の選挙によって国民に選ばれた人々だった。
 具体的に負の遺産として考えられているのは以下の通り。
●日本の広島平和記念碑(原爆ドーム)
●ポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ -ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)
●セネガルのゴレ島
●南アフリカのロベン島
●アフガニスタンのバーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群
この5つの文化遺産が負の遺産として捉えられている。ただ、バーミヤンは仏教遺跡としての側面が強いので負の遺産を象徴する要素は他の負の遺産より強くは無い。

 
 
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まだ多地域進化説は消えたわけではない!!?

 先ごろ、中国科学院古脊椎動物・古人類研究所(IVPP)の金昌柱(ジン・ジンジュー)教授らのグループは、中国南部の広西チワン族自治区で11万年前の早期現生人類のものと見られる下あごの骨を発見したと発表したそうです。 (ヤフーニュースから)

 現在では状況証拠などから人類(ホモサピエンス)は今から10万年~5万年前の間にアフリカを越えアラビア半島に渡り世界中に広まっていったという出アフリカ説(アフリカ単独起源説)が主流になっています。
 しかし、今回発見されたとされる約11万年前の化石がホモサピエンスのものであるならば、人類はヨーロッパやアジアなど世界の各地で異なる進化を遂げて現代のホモサピエンスへと辿り着いたという多地域進化説を支持する証拠となります。
 とはいえ、分子生物学から発展した分子考古学によると男性のみに受け継がれるY染色体も女性のみに受け継がれるミトコンドリアDNAの遺伝子マーカーの結果から、人類の共通の先祖はアフリカのエチオピアの辺りで誕生したと言われています。
 そして、遺伝子の多様性の分析の結果から出アフリカを行ったホモサピエンスはたったの1000人前後だと言われます。そのたった1000人前後の人々がアフリカ以外のユーラシア、オーストラリア、南北アメリカの各大陸へ渡った人類の先祖だとされています。もし、それが真実ならば、日本人も中国人もヨーロッパの人々も遺伝子の違いは少ないということになります。しかし、それでも今では死語となりつつあるモンゴロイドとコーカソイドの外見上の違いは大きく、その違いが多地域進化説の支持にも影響しています。実際は遺伝子に占める外見を決定付ける遺伝子はごくわずかな遺伝配列の違いで大きな外見上の相違を生むとされるため骨格や肌・髪・歯の形質によって多地域進化説を支持する根拠は少ないと考えられているようです。
 おそらく、今回中国で発見された骨はホモサピエンス以外のネアンデルタールやフロレンシスなどのホモ属の骨の可能性が高いと思います。他の可能性としてはグルジアで発見された177万年前のドマニシ原人の子孫の可能性もあるかと思います。

 
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源義朝をみた!

【源義朝(みなもとのよしとも)】
 ようやく随分前に録画してあったNHKその時歴史は動いたってな番組をみました。
スポットを当てられていたのは源義朝(1123~1160)です。
 義朝と言えば、清和源氏の一門で源為義の子供で、頼朝(よりとも)や義経(よしつね)のお父さんです。なんっと兄弟は10以上もいるという大家族の中で育ったようです。
 しかし、この番組を見て義朝のイメージはだいぶ変わってしまいました。
というのも、義朝は正義感溢れる武将だったが平治の乱で平清盛に敗れて無念の死を遂げたというイメージだったんですが、ここから正義感ってやつはスッポ抜けることになりました。むしろ、義朝は目的のためなら手段を選ばないモラルもへったくれもない残酷さを持った武将だったことが明るみに出たわけです。別に清盛が正義ってわけでもないんですけど、そうなると頼朝や義経の挙兵にも確固たる正統性は無いのかなぁという感じになってしまうわけです。
 まぁ、今回は義朝の実像を垣間見ることができたわけなんですけど、今まで抱いてきたカッコイイ源氏(清和)に対する歴史観ってやつが儚く崩れ去ってしまった感じです。
 義朝・清盛以降の武家政治ってのは源平合戦以降もすっごくドロドロと血みどろ臭くなってしまうんですよねぇ。それは室町幕府で一息つくものの戦国時代でピークを向かえ江戸時代の幕開けをもって終焉するという感じです。
 いやはや、武士ってやつは己を律して忠義を大切にしているとは言うものの、物事に対する柔軟性とか融和ってのに欠けますねぇ。とりわけ愛が無い。常に交感神経高ぶってヤルかヤラレルかだから親兄弟に対しても疑心暗鬼になってしまうわけで、頼朝なんざ見事に従兄弟も兄弟も葬っちゃう上に、奥さんの北条政子には裏切られちゃうし、嫉妬・復讐・恐怖ってなキーワードが付きまとってある意味ドラマチックな人生送っているという。北条政子は頼朝との間にできた息子や孫を葬ってからは、桓武平氏の一族としての北条家を幕府の中枢に持ってきて見事に頼朝たち源氏への復讐を果たすことになる。このことは政子が頼朝への愛を抱いていなかったからなのか、若しくは政子の父、時政の策略によるものなのかのどちらかなのだろう。
 とはいえ、結局の所は源平合戦の勝者である清和源氏の一族が守護地頭として全国支配の基盤を固めたわけで、北条氏による鎌倉幕府は滅ぼされ源氏系の足利氏による室町幕府が幕を開ける。
 さて、気になるのは平安時代まで政治の中枢を握っていた公家(貴族)たちの武家社会での生活の様子ってやつだ。皇族も公家も政治から離れてしまってからは武家からは敵視されなくなったわけで、滅亡することなく生きながらえたわけなんだけど、彼らの暮らしはどのようなものだったのか?形だけの地位や名誉は保たれただろうけど、暮らしは豊かだったのだろうか?その辺は武士によって保障されていたのだろうか?
 なにはともあれ、軍事力で政権を握っちゃうと今も昔も抑圧された閉鎖的社会しか誕生せず、ろくなことは無いね。うん、そんなわけで、政治は軍事とも宗教とも分けられてこそ国民の声を聞くことができるってことを学んだわけだね。

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