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深淵の脈動
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  • 04/20/12:56

源義朝をみた!

【源義朝(みなもとのよしとも)】
 ようやく随分前に録画してあったNHKその時歴史は動いたってな番組をみました。
スポットを当てられていたのは源義朝(1123~1160)です。
 義朝と言えば、清和源氏の一門で源為義の子供で、頼朝(よりとも)や義経(よしつね)のお父さんです。なんっと兄弟は10以上もいるという大家族の中で育ったようです。
 しかし、この番組を見て義朝のイメージはだいぶ変わってしまいました。
というのも、義朝は正義感溢れる武将だったが平治の乱で平清盛に敗れて無念の死を遂げたというイメージだったんですが、ここから正義感ってやつはスッポ抜けることになりました。むしろ、義朝は目的のためなら手段を選ばないモラルもへったくれもない残酷さを持った武将だったことが明るみに出たわけです。別に清盛が正義ってわけでもないんですけど、そうなると頼朝や義経の挙兵にも確固たる正統性は無いのかなぁという感じになってしまうわけです。
 まぁ、今回は義朝の実像を垣間見ることができたわけなんですけど、今まで抱いてきたカッコイイ源氏(清和)に対する歴史観ってやつが儚く崩れ去ってしまった感じです。
 義朝・清盛以降の武家政治ってのは源平合戦以降もすっごくドロドロと血みどろ臭くなってしまうんですよねぇ。それは室町幕府で一息つくものの戦国時代でピークを向かえ江戸時代の幕開けをもって終焉するという感じです。
 いやはや、武士ってやつは己を律して忠義を大切にしているとは言うものの、物事に対する柔軟性とか融和ってのに欠けますねぇ。とりわけ愛が無い。常に交感神経高ぶってヤルかヤラレルかだから親兄弟に対しても疑心暗鬼になってしまうわけで、頼朝なんざ見事に従兄弟も兄弟も葬っちゃう上に、奥さんの北条政子には裏切られちゃうし、嫉妬・復讐・恐怖ってなキーワードが付きまとってある意味ドラマチックな人生送っているという。北条政子は頼朝との間にできた息子や孫を葬ってからは、桓武平氏の一族としての北条家を幕府の中枢に持ってきて見事に頼朝たち源氏への復讐を果たすことになる。このことは政子が頼朝への愛を抱いていなかったからなのか、若しくは政子の父、時政の策略によるものなのかのどちらかなのだろう。
 とはいえ、結局の所は源平合戦の勝者である清和源氏の一族が守護地頭として全国支配の基盤を固めたわけで、北条氏による鎌倉幕府は滅ぼされ源氏系の足利氏による室町幕府が幕を開ける。
 さて、気になるのは平安時代まで政治の中枢を握っていた公家(貴族)たちの武家社会での生活の様子ってやつだ。皇族も公家も政治から離れてしまってからは武家からは敵視されなくなったわけで、滅亡することなく生きながらえたわけなんだけど、彼らの暮らしはどのようなものだったのか?形だけの地位や名誉は保たれただろうけど、暮らしは豊かだったのだろうか?その辺は武士によって保障されていたのだろうか?
 なにはともあれ、軍事力で政権を握っちゃうと今も昔も抑圧された閉鎖的社会しか誕生せず、ろくなことは無いね。うん、そんなわけで、政治は軍事とも宗教とも分けられてこそ国民の声を聞くことができるってことを学んだわけだね。

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