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  • 03/30/00:21

ユネスコの世界遺産への理念を考える

続:世界遺産検定対策 マイスター編

 世界遺産条約を締結し、世界遺産リストを作成しようとしたのは他でもなくユネスコ(国際連合教育科学文化機関)だ。
 では、何故ユネスコは世界遺産を作ろうとしたのか。その理念は我々凡人が世界遺産に対して抱いているイメージとは乖離したものだった。
 
 【ユネスコの世界遺産への理念に関するキーワード】
○ユネスコ憲章
○世界遺産条約
○世界遺産誕生までの経緯
○世界遺産に関連する条約や憲章及び宣言(条約は法的拘束力を持ったものだが、憲章や宣言には法的拘束力は無くガイドラインの域を出ない)

この4つがキーワドとなるだろう。また関連して無形文化遺産についての認識も必要だろう。

○1945年のユネスコ憲章は翌年1946年のユネスコ設立の基となった憲章だが、その理念には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなくてはならない。相互の風習と生活を知らないことが人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑念と不信をおこした共通の原因であり、この疑念と不信のために諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争を引き起こした」といった記述があるわけで、ユネスコは教育・科学・文化を通じてそれぞれの異なる地域の歴史・文化・風習・伝統の価値を普及させることによって平和と築こうとしていると言えます。
 そして、ユネスコの理念を具現化させるものの代表として世界遺産が存在するわけです。
 だから世界遺産条約は正式名称を「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」と保護が謳われているけど、何故保護しなければならないかということがユネスコの理念の中に存在していると考えられます。
 
○世界遺産条約・・・1972年の第17回ユネスコ総会で採択された条約。正式名称は上記の通り。世界の顕著な普遍的価値を持つ文化財や自然環境を人類共通の宝である世界遺産として登録及び保護し、次世代へと継承していくことを目的とする国際条約である。そして、世界遺産を通じて世界中に存在する多様な文化を認めようとのユネスコの理念が宿っている。
 日本は1992年に125カ国目として条約を締結した。
 条約は文化遺産及び自然遺産の定義、世界遺産の国内及び国際的保護、世界遺産委員会の設置、世界遺産基金の設立、それぞれの締結国による教育事業計画の作成などについて記されている。

○世界遺産誕生までの経緯
 直接的に世界遺産誕生のトリガーとなったのは1960年代に起こったエジプト政府によるアスワン・ハイ・ダムの建設計画によるアブ・シンベル神殿を始めとするヌビア遺跡群の水没危機に端を発する。ヌビア遺跡群は単なるエジプトの遺跡ではなく人類の歴史や文化を物語る上で重要かつ共有されるべき宝だと捉えたユネスコは国際社会に遺跡水没回避を働きかけ、見事ヌビア遺跡群は移築されダム水没を免れることに成功した。この運動を契機にそれぞれの国に存在する文化財や自然環境・生態系についても自国の問題に留まらない人類共有の宝であり、次世代に受け継いでいかなくてはならないとの意識が芽生え、世界遺産の誕生を促す結果となった。

○世界遺産誕生までの道のりに影響を与えた関連する条約・宣言・憲章 等
・1933年の近代建築国際会議第四回大会で採択されたアテネ憲章
・1948年のIUCN(国際自然保護連合)設立
・1954年の武力紛争の際の文化財の保護に関する条約(ハーグ条約)
・1964年の記念物と遺跡の保存と修復に関する国際憲章(ヴェニス憲章)
・1965年のヴェニス憲章に基づくICOMOS(国際記念物遺跡会議)の設立


また、世界遺産は有形の不動産に限られるが、人類の文化や伝統には舞踊や歌など無形のものも存在し、そういった無形の文化遺産にも顕著な普遍的価値は存在するとの認識により、世界遺産とは別に無形文化遺産が誕生することとなった。

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